<ロースター秦のコメント>
花のような甘い香りに、パッションフルーツやライムを連想させるジューシーで豊かな酸。華やかで奥行のあるコク。ハイローストでは果汁のような瑞々しさが際立っています。軽やかな飲み口ながらも、甘く長い余韻が楽しめる贅沢なコーヒーです。
管理者:フアン・カルロス、フェリックス、ダリオのウマーニャ3兄弟
地域:サン・ホセ州タラス市カネット・アリバ
標高:1,960〜2,000m
品種:カトゥアイ
精製:機械的にミューシレージを除去するウォッシュト
サンホセ州はコスタリカ中央部、赤い点線で囲んだ部分です。人口は約140万人、州北西部には首都サンホセがあります。(地図データ: Google、DigitalGlobe)
サンホセ州を横から見た景色です。奥には首都のサンホセがみえます。首都から遠く、低地の部分が多い(ロス・クレストネスは高標高ですが)チリポ地域に比べ、タラス地域は販路の確保もしやすいエリアです。(地図データ: Google、DigitalGlobe)
私たちの訪問を日本の国旗を貼って歓迎してくれたこともあります。手間を惜しまずこういった歓迎をしていただいてとても嬉しいです。ミルの名前の由来は、当地から望む Cerro La Roca(ロカ山)から。Rocaは”岩”の意味。2014年設立したばかりの小さなミルです。
彼らとの出会いは偶然の賜物でした。2015年2月に生豆バイヤー若林がたまたま近くを通り、新しいミルができたという話を聞いて立ち寄ったのがきっかけ。あと1時間遅ければ日が暮れて宿に帰っていたはずなので、互いにとって幸運な出会いとなりました。
こちらがラ・ロカミル。兄弟は土地取得時からミルの設立を考えていました。しかし、新たな土地取得のために次男フェリックスの車を売却したり、ローンを組むなどしていたため、資金的に問題があり同時には実行できませんでした(土地取得に苦労した背景には、この周辺でもコーヒーが生産できることがわかったため土地の価格が高騰していたことも挙げられます)。土地の購入から一年かけて資金を工面し、ミルを設立しました。私たちと取引するようになったことで、買取価格も向上し安心して生産に取り組めるとのことでした。
収穫したコーヒーチェリーをここに投入して精製が始まります。
斜面を利用した浮力選別を行った後に、果肉を除去していきます。すぐ脇には付着しているミューシレージを取り除く機械があります。コスタリカでは発酵槽を用いたミューシレージの除去ではなく、機械で取り除く方法が増えてきています。
アフリカンベッドに並ぶパーチメントコーヒーは非常に美しく、常に撹拌しながらハンドソーティングを行っているそうです。ラ・ロカミルは標高が高く気温が低いため、乾燥には時間がかかりますが、豆へのストレスは低減されて品質にはプラスに働きます。ウォッシュト精製では10〜12日間かけて乾燥させていきます。

こちらが農地「グラナディージャ」。ミルの近くに5年前に新らしく購入した土地です。グラナディージャとはパッションフルーツの一種で、もともとはこのフルーツを植えていた土地です。コーヒー栽培は4年前から始めました。下には小さいコーヒーの木があります。これが成長し、今回のロットのコーヒーチェリーを付けました。
これがグラナディージャ。どんな味なのでしょう。食べてみたいところですが、現在では伐採されてしまったようです。

パンパンに熟したチェリー。熟度の高さがうかがえます。このままでもおいしそうです。
ラ・ロカミルを設立したイケメンのウマーニャ3兄弟。左側が長男のフアン・カルロスさん、中央が三男のダリオさん、右側が次男のフェリックスさんです。土地の購入資金はフアン・カルロスさんが18歳、フェリックスさんが17歳のときに出稼ぎに行き、5年間働いて貯めた資金で用立てました。アメリカのニュージャージーに渡り、フアン・カルロスさんはダイナー、フェリックスさんはイタリアンでウェイターや皿洗いをしていたそう。ミルを設立した理由は、 「自分達で作ったコーヒーを誰がどんな風に扱っているのか知りたかった」とのこと。兄弟の総意の下に設立を決心したそうです。
昨年末のダリオさんです。彼はどんどん貫禄を増していきます。
手前は父のエルマノスさんです。
アメリカでのフアン・カルロスさんとフェリックスさん(奥の2人)は、同じく出稼ぎに来ていたコスタリカ人8人くらいとルームシェアし生活費を節約。食事もまかないで済ませ、稼いだお金はそのほとんどを土地の購入資金にあてました。出稼ぎにくる人のなかには目的を忘れ、遊びほうけてしまう人もいましたが、彼らは一切遊びに行かず農地を取得するためだけにお金を溜め続けました。
※のちに筋トレが好きなフェリックスさんはジムには通っていたと白状してきました。
現地には3年前にはスタッフ大瀧も現地を訪れています。生豆バイヤーの若林だけでなく、様々なスタッフが現地を訪れることで交流の幅を広げ信頼関係をより強固なものにしています。