いまでこそ、コーヒー好きでその名を知らない人はいないほどの有名品種になった『ゲイシャ』。しかしほんの十数年前までは、数ある品種のなかで、ほとんど注目されない一品種にすぎませんでした。それが一体どうして一躍有名になったのか、なぜパナマ産が注目されるのか、そして、そこからさらに先へ、今回販売する『南米ゲイシャ』に繋がる数奇な歴史をご紹介いたします。 品種としては、エチオピア南西部、世界的にも有名なコーヒー生産エリア「イルガチェフェ」よりさらに西方にある「ゲシャ」というエリアの森の中に自生していた在来の品種に由来するといわれています。 時は下り、ゲイシャは中米に渡ります。1950年代にアフリカ駐在のイギリス総領事からコスタリカの熱帯農業研究高等教育センター(CATIE)に持ち込まれ、その研究が託されたといわれています。そして、このCATIEを起点として「サビ病への耐性」がある品種として中南米の生産者に対してゲイシャが配布されていったそうです。 パナマにおいて、CATIEからゲイシャ品種を受け取った一人が、かの有名な「ドンパチ農園」のパチ・セラシン氏です。初めて彼がパナマにゲイシャを持ち込み、そこから後に世界に衝撃を与える「エスメラルダ農園」にも渡って行きました。 そんななか、「エスメラルダ農園」が、2004年のパナマのコーヒー品評会(ベストオブパナマ)にゲイシャを出品しました。それまで業界では注目されなかったゲイシャが、中南米コーヒーにはなかった圧倒的に華やかな香味を放ち、空前の高額で落札されたとセンセーションを起こしました。農園名とともに「ゲイシャ」の名前は世界へと広まったのです。その後も、希少性がさらなる高額落札を生み、独特の香味とも相まって世界中でブームが起こりました。 ではなぜこれまで日の目を見なかったゲイシャが突如として「圧倒的に華やかな香味」を携え注目を集めたのか。それは、「最適な生育環境」を手に入れた、という点にヒントがあるのかもしれません。エスメラルダ農園は1990年代半ばボケテ(※)のハラミージョ地区に農地を購入し、ウエットミル(※)も建設。高品質コーヒーに取り組み始めました。その矢先ハラミージョ地区の低地エリアにカビの病気による被害が出てしまい、ほとんどのカトゥアイ品種がその葉を落としてしまったのです。 その中で生き残っていたものを、より標高の高い寒冷なエリアに植え替えます。そのうちの三分の一は枯れてしまい、三分の一は生育不良、残りの三分の一は健康なまま生き残りました。その生き残りから収穫し初めてカッピングをしたのが、2004年の品評会の数週間前のこと。これがまさに出品されることになるゲイシャでした。農園主のピーターソン氏は、その余りにも華やかでフルーティーなキャラクターに驚き、発酵行程を失敗したことによるディフェクト(欠点豆)かもしれないと始めは疑ったと後に明かしています。 このように数奇な歴史を歩むゲイシャですが、さらにその歩みを進めています。中米から南米、今ではブラジルの生産者もその栽培に挑戦するようになりました。ゲイシャは、複雑なマイクロクライメイト(※)と肥沃な土壌の条件が揃ってその特殊なフレーバーを発現します。今回はそれを体験していただける絶好のチャンスをお届けすることができました。ゲイシャとしての個性、加えてその土地その土地で備える独特のキャラクターを味覚で追ってみてはいかがでしょうか。これまでのゲイシャから、一歩先の発見があるかもしれません。ぜひ、ご堪能下さい。 ●注釈 |