会社では第一線を退いている堀口ですが、まだまだ現役のコーヒー人。著書の執筆やセミナーの開催、近年では沖縄コーヒーの振興といった活動の傍ら「堀口珈琲研究所」にて日々精力的にコーヒーの研究に取り組んでいます。
本特集の取材のためにオンラインストア担当の島崎とわたくし小野寺で研究所を訪れ、「今日はブレンドについて話を聞きたいのですが」と伝えると、開口一番に「これからはブレンドの時代だよ」と食い気味に。
どういうことでしょうか。
「つまり、自家焙煎のコーヒー屋にとってシングルオリジンで差別化できる時代はもう過ぎたってこと。新規参入のロースターでも誰でも、昔に比べると今は簡単にシングルオリジンの生豆が手に入るからね。」
「生産者とのパートナーシップによって仕入れた独自の生豆であれば差別化できるけど、そうでなければどこの自家焙煎店でも扱うシングルオリジンは似たり寄ったりになる。だから、これからはブレンドをつくらないとコーヒー屋は差別化できない時代。お店のアイデンティティとしてのブレンドをつくらないと。本来コーヒー屋は「自分のお店の味ってなに?」が問われる訳だから。」
2010年代、米国からもたらされた“サードウェーブ”というムーブメント以降、日本のスペシャルティコーヒー市場のトレンドは浅煎りの「シングルオリジン」であり、それが自家焙煎店にとっての差別化戦略の一つでした。
そうした時代を経て、これからは「ブレンドしなければ差別化できない時代」になると堀口は言います。
そして「まぁ、そんな時代になることを見越して10年以上前からブレンドに力をいれてきたのが堀口珈琲なんだけどね」とニヤリ。
冒頭からいきなり“これから”の話になってしまいましたが、本題に戻して“これまで”の堀口珈琲のブレンドの歴史と「ブレンドする理由」について、堀口と一緒に振り返ってみました。
1.創業当時(90年代)のブレンドする理由
【風味を安定させる】
堀口珈琲が創業した1990年は今のように“スペシャルティコーヒー”がまだ普及していない時代です。
「当時はシングルオリジンなんてなかった時代。いわゆる“ストレート”と呼ばれるコーヒー生豆は流通していたけど、それはコロンビアスプレモとかグァテマラSHBとかエチオピアG4とか、国別のコーヒーでしかない。どこのエリアでいつ獲れたものかもわからない。流通している生豆のクオリティが総じて低かった。」
今でこそ「どの国の、どのエリアの、どの農園のコーヒーで、どんな品種でいつ獲れたのか」まで、トレーサビリティが明確な状態で生豆が流通されるのがスペシャルティコーヒー市場においては当たり前ですが、90年代は「どの国の」までしか分からないのが当たり前の時代です。
堀口の言う“クオリティが総じて低い”とは、すなわち“味がおいしくない”ということでしょうか。
「そうだね。当時は当たり前のように飲まれていたけど、自分はおいしいと思ってなかった。発酵臭や薬品臭といったネガティブも多かった。たまたま品質のいい生豆を入手できても、入港する度に味が違うし、ロットによっても味がブレる。生豆の状態(鮮度)にもバラつきがある。」
「単一素材だとおいしくないし味もブレる。しょうがないからその時々で状態のいい生豆をブレンドして、味を安定させるしかない。味を創造するとか、それ以前の話。それが90年代のブレンド。」
堀口珈琲の黎明期、品質の良い生豆を安定的に入手することが困難だった90年代におけるブレンドする理由は【どうにか味を安定させる】という消極的なものでした。
ただ、当時は生豆の品質に問題意識を持つコーヒー関係者はほとんどおらず、「みんな当たり前のように受け入れて、品質を疑いもせずストレートで販売していた」とも語ります。
そんな時代から、ブレンドで「自分のお店の味」を作ってそれを維持しようとしたのが堀口の取り組みでした。
「たまに良い生豆が入ればストレートでも売ってたけど、基本はブレンドだけを売っていた。当時は4種類。まろやかブレンド、さわやかブレンド、あじわいブレンド、ふかいりブレンド。」
どのようにブレンドを作り分けていたのでしょうか。
「焙煎度合いで分けていた。ミディアム(浅煎り)、シティ(中深煎り)、フレンチ(深煎り)で。まろやかブレンドとさわやかブレンドはミディアム、あじわいブレンドはシティ、ふかいりブレンドはフレンチ。」
それを聞いて、浅煎りから深煎りまで焙煎度で飲み分けるという文化・嗜好性は当時から普及していたのだなぁと思いきや「いや、それは違うよ」と堀口は明確に否定します。
「当時、一般的に飲まれていたコーヒーの焙煎度はほぼミディアムで、フレンチはアイスコーヒーだけ。深煎りをホットで飲む嗜好性自体が稀だった。深煎りを売っているコーヒー屋がほとんどいない中で、堀口珈琲が力を入れて売り始めた。」
なんでみんな同じ焙煎度なんだろう?という疑問を抱き、コーヒー業界の中で「一人で悶々としていたのが当時の俺」と堀口は笑いながら語ります。
「だから、深い焙煎のコーヒーを売るために、お客さんにはまずはシティロースト(中深煎り)のあじわいブレンドを飲んでもらって、少しずつ慣れてもらって、その次にふかいりブレンドを奨めて、深い焙煎の味に慣れていってもらったんだよ。」
あじわいブレンドは現在の「#3 MILD&HARMONIOUS」に繋がるブレンドで、ふかいりブレンドは「#7 BITTERSWEET&FULL-BODIED」に繋がっていくブレンドです。
いずれも今の堀口珈琲のラインナップにおいて1位2位を争う定番人気商品ですが、その背景には創業者堀口によるゼロからの地道な普及活動があったことを知り「そ、そうだったんすね…!」と思わず背筋が伸びてしまいました。
2.スペシャルティコーヒーが普及する2000年代のブレンドする理由
【風味を安定させる+風味を拡張させる】
品質の良い生豆が安定的に供給されない90年代という前段階を経て、「コーヒーって生豆が重要なんだ」と生豆の品質に意識を向ける人たちがコーヒーの生産国や消費国に現れ始め、2000年代に入るとスペシャルティコーヒーの時代に突入していきます。
日本においては、堀口がそのパイオニアの一人でした。
「市場に流通する汎用品の生豆を使っていてもどうしようもないから、商社に「農園単位で生豆がほしい」と依頼した。例えば、タンザニアのブラックバーン農園は、現地のエクスポーターに「農園単位で分けて生豆サンプルを分けて送ってほしい」とリクエストしたのが始まり。「あなたのように単一農園の豆を欲しがる人は初めてだ」と言われながら少量のサンプルを送ってくれた。」
「何年かテイスティングを繰り返すうちに、毎年圧倒的に品質が高い農園があって、それがブラックバーン農園だった。だから、当時は他の農園のコーヒーと混ぜられて流通していたものを、ブラックバーン農園の生豆だけ分けて買いたいと商社に伝えた」
そうしたリクエストに商社はすぐに対応してくれるものなのでしょうか。
「対応してもらえないよ。当時の商社マンに“農園単位”“シングルオリジン”という概念がそもそもなかったし、そんなことをリクエストする人もいなかった時代だから。対応してもらうためには最低1コンテナ分(60kg×250袋)を抑える“買付量”が必要だった。だから、カフェやビーンズショップの新規開業支援を本格化して、同じ志を持つ仲間を増やして、生豆を共同で買い付けるグループ(LCF)をつくって道を切り開いた。」
タンザニア「ブラックバーン農園」や、グァテマラ「サンタカタリーナ農園」、ブラジル「マカウバ・デ・シーマ農園」。堀口珈琲の20年来のパートナー農園にして今でも圧倒的な人気を誇るシングルオリジンたちは、当時のこうした取り組みによって商品化が実現していったコーヒーたちです。
せっかくなので本特集の2章でテイスティングしたグァテマラ「サンタカタリーナ農園」についても当時の経緯を聞いてみました。
「グァテマラ・アンティグアは、優秀な商社マンが農園単位の生豆サンプルを堀口珈琲のためだけに特別に用意してくれて。その中で「サンタカタリーナ農園」が圧倒的に良かった。当時は別の農園のアンティグア産コーヒーを使ってたんだけど、それが使用できなくなった時に、商社の担当者に連絡して「すぐにアンティグア行くぞ」って言って、農園主のペドロさんに会いにいった。それが長い付き合いの始まり。」
「当時サンタカタリーナ農園は世界的なコーヒーチェーンとの契約があったけど、交渉してまず50袋だけ買い付けて、次の年は200袋。そこから段々ステップアップしていった。買付量と品質と継続性を軸に、パートナーシップという考え方を実践した。」
そうして「農園単位の生豆」の買い付けが実現できたことで2000年代は生豆の品質が安定した訳ですね、と早合点しかけると「それは、違うよ」とまた否定されてしまいました。
「2000年代はまだ苦労していた時代。サンタカタリーナ農園は比較的安定していたかもしれないけど、他は安定しなかった。だから、どうすれば品質が安定するかを考えて色々と取り組んだ。例えばブラジルの「マカウバ・デ・シーマ農園」にはブルボン品種を植えてもらったり、コロンビアの「オズワルド農園」にはティピカ品種を植えてもらったり。」
いかにシングルオリジンのベースの品質を上げ、風味を安定させるかに取り組んだのが2000年代の10年間だった、と堀口は語ります。
では、その時代のブレンドづくりはどうだったのでしょうか。
「シングルオリジンがどんどん増えていって、それに伴って、ブレンドの種類もどんどん増えていった。」
それはつまり、シングルオリジンの増加とともに、つくれるブレンドの幅も広がっていく時代でした。90年代の【風味を安定させる】という目的によるブレンドづくりを踏襲しながら、新たな素材の登場は「こういう味のシングルオリジンがあるなら、こういう方向性のブレンドもつくれるよね」という【風味を拡げる】ブレンドづくりも可能となっていきました。
「2000年代はシングルオリジンの時代だったけど、堀口珈琲はシングルオリジン一辺倒ではなかった。スペシャルティコーヒーを牽引していた他の会社、例えば米国のインテリジェンシアとかスタンプタウンとかはシングルオリジンだけを販売していてブレンドは作ってなかったけど、堀口珈琲はシングルオリジンとブレンドの両方に力を入れていた。」
そうした時代に堀口が「シングルオリジンだけでいいや」という発想にはならなかったのはなぜでしょうか。
「やっぱり、ブレンドが会社の顔だから。シングルオリジンがいかに増えようが、会社の顔・堀口珈琲の味というのはブレンド、というのが基本のスタンス。でも、増えすぎちゃった。何種類つくってたのか、もう覚えてないくらいブレンドをつくってた。」
と堀口は笑います。
(調べたら30種類近くつくっていました)
新たなシングルオリジンの登場が新たなブレンドをもたらすこともあれば、新たな店舗を開店したことでその店舗限定のブレンドができたり。遊び心で即興的なブレンドをつくったり。
即興的なブレンドづくりには楽しさがあるかもしれませんが、“いつでも買える”“変わらない味”の定番ブレンドの種類が増えると、そこには大変さも伴います。
生豆の生産年毎のぶれ、入港後の生豆状態の変化、生豆の欠品など多様な変化に対応しながらブレンドの風味を安定させなければなりません。
年間100種類以上に及ぶ生豆の在庫量や鮮度を見極めながら、常に素材を入れ替え、配合比率を調整しながら常に“変わらない味”を作り続けなければなりません。
そのためには生豆の品質を見極める能力、技術が必要です。
「2008年に生豆の調達拠点として上原店を開き、そこで全ての生豆の鑑定を始めた。生豆のグレーディング(フィジカル面のチェック)をして、水分値やスクリーンサイズ(豆の大きさ)を計測して、風味にネガティブな影響を及ぼすディフェクト(不良豆)の混入状況を確認して数値化する。テイスティングをして風味と状態をチェックする。どのくらい鮮度が持つのかを見極めて、使用する順番を決める。全体最適を常に考慮しながら、ブレンドに落とし込む」
シングルオリジンの増加と高品質化。
それに伴う生豆の品質管理や、焙煎、ブレンド技術の向上。
こうした機運の高まりを経て、2013年に#1〜#9の定番ブレンドが誕生します。
「2000年代の10年間、シングルオリジンの発展期を経て、たくさん増えてしまったブレンドを9つの定番ブレンドに整理したのが2013年。その段階でも、まだみんなシングルオリジンを売っていた時代。9つの定番ブレンドをつくることは画期的だったし、世界中で誰も真似できない取り組み。なぜなら、9つの定番ブレンドを作り続けるためには膨大かつ高品質なシングルオリジンが必要だから。」
「それを実現するための土壌を2000年代に創り上げたから、2010年代に堀口珈琲は次のフェーズに進むことができた。ブレンドすることで風味を安定させながら、シングルオリジンでは得られない風味を創造する。シングルオリジンの生豆を誰もが簡単に入手できる時代に、おいしさの本質を理解して、ブレンドすることでスペシャルティコーヒーの風味をさらに発展させる」
90年代の【どうにか風味を安定させる】、
2000年代の【風味を安定させる+風味を拡げる】という時代を経て、
堀口珈琲がブレンドする理由は【特別な風味を創造する】へ。
そうして2013年に誕生した#1〜#9の定番ブレンドと堀口珈琲のシングルオリジンはその後も進化を遂げて現在に繋がっていく訳ですが、既に長文になってしまいましたので、今回はここまで。
2013年以降のブレンドのお話はまたどこかで掘り下げたいと思います。
シリーズ特集「はじめてのスペシャルティブレンド」は毎月更新予定です。
お楽しみに。